血液内科を専門としたきっかけ
- イ:
- 先生ご自身のことを伺ってもいいですか?宮崎先生が血液内科を選ばれた理由を教えて頂けますか?
- 宮崎:
- まず、がんの医学を学びたかったこと。
次に、がんの診断から治療まで自分自身で一貫して行うことができる診療科であること。この2つの条件を満たすものが、白血病をはじめとする造血器腫瘍を扱う血液内科だったのです。がんの診断は内科医がするけど、治療は手術だから外科医におまかせというのでは嫌だった。
血液内科医は、骨髄穿刺をして白血病と診断するだけでなく、化学療法や造血幹細胞移植という治療まで一貫して行います。そこが最大の魅力でした。
急性白血病という、放置すれば必ず死に至る病いを、深い底なし沼に例えると、その沼にはまって沈みそうな患者さんに対して、「これにつかまって」と自分の手を差し伸べて、全力で沼から引きずり出して救命するという仕事をしてみたかったわけです。
医学生時代に読んだ、柳田邦夫さんの「がん回廊の朝(あした)」というノンフィクション作品に、化学療法の話が書かれていて、すごく興味を持ったことも影響しています。また、学生時代に血液内科の教授や医局員の方々が指導してくださる輪読会や勉強会に熱心に参加していたことも、血液内科を選んだ理由のひとつでした。
- イ:
- 研修医時代は聖路加国際病院で過ごされていますが、そのきっかけは何だったのですか?
- 宮崎:
- 1984年に軽井沢で開催された医学生のための教育ワークショップで、日野原重明先生と出会ったからです。医学部4年から5年に進級する春休みでした。そこで、日野原先生はオスラー博士の話などをされたのですが、しっかりとその影響を受けて、「聖路加で研修するしかない」という気持ちになりました。幸い内科レジデントとして採用され、聖路加の風土のなかで「医師として在り方」を身につけることができたことは、わたしのキャリアで最も良かったことです。
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